田貫湖物語 田貫湖物語

炭焼すみや藤次郎とうじろう

炭焼き藤次郎 挿絵

 むかし天子ヶ岳てんしがたけふもと藤次郎とうじろうという炭焼すみやきがんでいました。

 そのころ、みやこうつくしいお姫様ひめさまがいました。お姫様は、ふとした風邪かぜが元でおも病気びょうきにかかり、いろいろ手をくしても、さっぱりなおりませんでした。

 ある日のこと、お姫様がすやすやとねむったので、看病かんびょうつかれたお父さんもお母さんも、病人びょうにん枕元まくらもと寝込ねこんでしまいました。すると、夢枕ゆめまくら白髪はくはつ老人ろうじんあらわれて、
ひめやまいはただの病ではない。富士山ふじさんの見えるところへ行って、けむりが大きく上がっている所をたずねるがいい。そうすれば、姫の病はなおしあわせになるであろう。」
と言いました。三人が目をますと、もうそこには老人の姿すがたはありませんでした。

 三人とも同じゆめを見たのも不思議ふしぎなことなので、お姫様はすぐたび支度したくにかかりました。旅の支度をはじめると、不思議にもおもい病のお姫様がきゅうに元気になりました。いよいよ、これは神様かみさまのおげにちがいないと支度をいそぎました。旅の支度がすむと、お姫様はお父さんお母さんにわかれを告げて、富士山の麓へ旅立たびだちました。

 お姫様は、いく日も旅をつづけて、やっと富士山の見える所までやって来ました。お姫様は、大きく上がっている煙をさがしました。しかし、富士山の方には細々ほそぼそとした煙しか上がっていませんでした。お姫様は、がっかりしてあたりを見回すと、富士山の西の麓からさかんに煙が上がっているのが見えました。お姫様は、よろこんで煙をたよりに急ぎました。

 ところが、途中とちゅうまでやって来ると、大きなぬまがありすすむことができなくなってしまいました。そのうちに日もれ、お姫様はつかれと不安ふあんで、その場へたおれて気をうしなってしまいました。

 あくる朝、お姫様が目をますと、そこは炭焼すみや小屋ごやの中で、そばで男の人が看護かんごしてくれていました。お姫様は不思議に思って、
わたくしは、どうしてここにいるのですか。」
とたずねました。男は、炭焼すみや藤次郎とうじろうでした。昨日きのうぬまのほとりの暗闇くらやみの中で、くるしそうな声が聞こえたので様子ようすを見にいき、お姫様を見付みつれてきて看護したということでした。藤次郎は、
「あなたは、どうしてこの山里においでになったのですか。」
とたずねました。お姫様は、今までのことをくわしく話しました。すると藤次郎は、いかにも不思議そうに、
じつは、私も二日ほど前に、夢枕ゆめまくら白髪はくはつ老人ろうじんあらわれて、『みやこからお姫様がおいでになるから、気をつけてお世話せわをしなさい。』とのおげをゆめに見ました。」
と話しました。お姫様は、
「あなたこそ神様かみさまのお告げの方、どうぞおそばにいてください。」
たのみました。藤次郎は、夢のお告げがあったものの、このうつくしいお姫様に、自分の小屋こやにいてもらうのは、あまりにももったいないと思い、
「私はまずしい炭焼きです。こんな山奥やまおくでは、お姫様はとうていおらしできないでしょう。」
といって、都にかえるようにすすめました。しかし、お姫様の決心はかたく、藤次郎は、それならばと、お姫様のお世話をすることにしました。

 それからのち、藤次郎は前にもまして一生懸命いっしょうけんめいはたらき、沼地ぬまちを広いたんぼにかえました。こうして、藤次郎の家はだんだんさかえ、炭焼き長者ちょうじゃといわれるようになりました。

 お姫様は、藤次郎としあわせな長い年月としつきごしたのちおもやまいになり、藤次郎に、
「長らくお世話せわになりましたが、わたくしんだら、私とかんむりを、どうかみやこの見える高い山にめてください。」
たのみ、ねむるようにこのりました。藤次郎はお姫様の言葉ことばどおり、お姫様と冠を、天子ヶ岳てんしがたけ頂上ちょうじょう手厚てあつほうむりました。

 不思議なことに、いつのころからか、天子ヶ岳の頂上には、瓔珞ようらくを思わせるようなうつくしいツツジの花が咲くようになりました。人々は、このツツジをヨウラクツツジとんで大事だいじにしてきました。

【類話】「炭焼すみや松五郎まつごろう」(芝川町の話 抜粋)

炭焼き松五郎 挿絵

 松五郎まつごろうところへやって来たお姫様ひめさまは、これでらしのきのものを買って来てくださいと言って、松五郎に小判こばんわたしました。松五郎は、その小判を持ってぬまの所まで来ると、お姫様に水鳥みずとりってやろうと小判をげつけました。ところが小判は水鳥にはあたらず、水鳥は、その小判をくわえてってしまいました。

 そのことをお姫様に話すと、お姫様が小判は大切な宝物たからものだといいました。松五郎まつごろうは、そんなものなら、わたくしすみところにいっぱいあると言って、お姫様をれて行きました。そこには、金がいっぱいありました。お姫様と松五郎は、その金で広いたんぼに手を入れ、しあわせに暮らしたということです。

 小判をくわえた水鳥は、東の方へ飛んでいきましたが、小判がおもかったので途中とちゅうとしてしまいました。その小判が落ちてきたところ人穴ひとあな大沼おおぬまで、そこには小判にた草が生えるようになり、それを小判こばんそうぶようになったということです。

ヨウラクツツジ

ヨウラクツツジ 挿絵

 天子ヶ岳てんしがたけのぼって、ヨウラクツツジの花が美しいからといってえだを折ったりすると、たちまち空がくもつよ風雨ふううこり、早く山を下りないと遭難そうなんするといわれています。そのことを知らない登山とざんしゃがヨウラクツツジの枝を折ったりすると、たちまち山がれて、ふもとの村々にまで被害ひがいおよんだそうです。

 でも、日照ひでりでこまったときには、村のわかい人が天子ヶ岳に登ってヨウラクツ ツジの枝を折り雨乞あまごいをしたということです。

【引用】富士宮の昔話と伝説より