田貫湖物語 田貫湖物語

吉野よしの長者ちょうじゃむすめ

吉野長者の娘 挿絵

 むかし天間てんまというところに、吉野よしの長者ちょうじゃといわれる人がんでいました。広々ひろびろとした富士山ふじさん裾野すその田畑たはたは、ほとんど長者ちょうじゃのものでした。

 なに一つ不足ふそくのない長者でしたが、どうしたわけか子供こどもさずかりませんでした。そこで、長者夫婦ふうふは、どうかして子供をほしいものだと、村の氏神うじがみさま一生懸命いっしょうけんめいにおねがいしました。その真心まごころが通じたのか、やがてうつくしい女の子が生まれました。長者夫婦は大変たいへんよろこび、さっそく氏神様におれいをすませ、その子にたまきと名前をつけ、たいそうかわいがってそだてました。

 月日がたち、たまきも十八さいになってますますうつくしくなりました。その年、この付近ふきん一帯いったいは大変な日照ひでりで、田は干上ひあがりいねれそうで、長者をはじめ村の人々はこまててしまいました。それを見て、たまきは何かかんがむような日が多くなりました。長者夫婦は、そんなたまきを見て大変心配しんぱいしましたが、たまきはますます元気がなくなって、とうとう寝込ねこんでしまいました。

 そんなある日、たまきは長者夫婦に、
「白糸のたきの近くにある大きな池にれていってください。」
たのみました。かわいいむすめの頼みに、長者夫婦は早速さっそくたまきを駕籠かごせ、村人を頼んで白糸の滝近くにある池にやりました。

 池にき、駕籠からりたたまきは、みんなが引き止めるすきもなく、池にんでしまいました。村人がおどろさわいでいると、池に白い波紋はもんが広がり、しずまりかえった池の中から異様いような音が聞こえてきました。するとあたりがきゅうくらくなって大粒おおつぶの雨がってきました。

 くらくなった池を村人がおそる恐る見ていると、水ががり、そこから恐ろしい大蛇だいじゃが頭を出し、
わたくしは、もともとこの池のぬしです。もう、この池に帰らなければなりません。みなさんの御恩ごおんは、けっしてわすれません。これからは、この池にいて皆さんをおたすけします。」
のこして、池の中にしずんでしまいました。

 すると、あたりは何事なにごともなかったかのように、もとの明るさにもどりました。村人は、げるように村をさして帰りました。村に帰ると、ことの一部始終いちぶしじゅうを長者夫婦に話しました。長者夫婦が、たまきのていたところを見ると、ふとんの中にさんまいうろこのこされていました。

 それから後、日照ひでりでこまった年には、この池にきておねがいすると、かならず雨がったということです。

【類話】北沢きたざわ長者ちょうじゃ(東京都三鷹市の話 要約)

北沢の長者 挿絵

 むかし北沢きたざわ大層たいそう長者ちょうじゃがいました。長者ちょうじゃ夫婦ふうふは、子供こどもめぐまれず、猪之頭いのかしらいけ弁天べんてんさまに子供がさずかりますようにとおねがいし、やがて女の子が生まれました。その子には首筋くびすじさんまいうろこがついていましたが、長者夫婦は大切たいせつそだてました。

 やがて、その子も十六さいむすめになりました。長者夫婦が、いつものように娘をれて弁天様へおまいりに行くと、娘がきゅうに池にんでしまいました。長者夫婦が池のはたると、娘はみるみる白い大きなへびわってしまい、
わたくしはもともとこの池のむしです。もう池に帰らなければなりません。今まで育ててくれたおんわすれません。これからは、こまったことがあったらこの池に来てください。きっとおたすけします。」
というと、池の中にしずんでしまいました。

【引用】富士宮の昔話と伝説より