日本の国が、南朝なんちょうと北朝ほくちょうに別わかれて争あらそっていた南北朝なんぼくちょう時代じだいのことです。天子ヶ岳てんしがたけの麓ふもとに、狸たぬき次郎じろうという長者ちょうじゃの屋敷やしきがありました。

　そのころ南朝方なんちょうがたの尹良ゆきよし親王しんのうは、父宗良むねよし親王に従したがって遠州えんしゅう井伊野谷いいのやにいました。尹良親王は、そこで天子ヶ岳の麓に南朝方の人々が集あつまっているということを聞いて、天子ヶ岳の麓にやってきて狸次郎の屋敷に身みを寄よせました。そのことを聞いた南朝方に心を寄せる富士山ふじさん周辺しゅうへんの人々が、尹良親王の下もとに集まってきました。

　狸次郎には、延菊のべぎくという美うつくしい娘むすめがいました。延菊は、尹良親王がおいでになると、おそばにお仕つかえしました。延菊は尹良親王をお慕したいしていましたが、やがて尹良親王は、南朝の勢力せいりょくを広ひろめるために信濃国しなののくにへ出立しゅったつしていきました。延菊は、再ふたたび、この地に尹良親王が戻もどってこられる日を待まち望のぞんでいました。しかし、延菊の下に尹良親王が亡なくなられたという便たよりが届とどきました。それから後のち、延菊は食事しょくじもとらず部屋へやに閉とじこもり、泣ないてばかりいました。

　狸次郎は尹良親王の葬式そうしきをすませると、天子ヶ岳の頂上ちょうじょうに祠ほこらを建たててお祀まつりしました。それからまもない晩ばんのこと、延菊は尹良親王からいただいた冠かんむりを付けて、屋敷の前の池に入って死しんでしまいました。狸次郎は、尹良親王を慕う娘の心を哀あわれに思おもい、天子ヶ岳頂上の、尹良親王の祠の傍かたわらに延菊を葬ほうむってやりました。

　それから後、いつのころからか天子ヶ岳の頂上には、延菊の冠についていた瓔珞ようらくを思わせるような、美しいツツジの花が咲さくようになりました。人々は、その花をヨウラクツツジといって大事だいじにしてきました。