田貫湖物語 田貫湖物語

尹良ゆきよし親王しんのう延菊のべぎく

尹良親王と延菊 挿絵

 日本の国が、南朝なんちょう北朝ほくちょうわかれてあらそっていた南北朝なんぼくちょう時代じだいのことです。天子ヶ岳てんしがたけふもとに、たぬき次郎じろうという長者ちょうじゃ屋敷やしきがありました。

 そのころ南朝方なんちょうがた尹良ゆきよし親王しんのうは、父宗良むねよし親王にしたがって遠州えんしゅう井伊野谷いいのやにいました。尹良親王は、そこで天子ヶ岳の麓に南朝方の人々があつまっているということを聞いて、天子ヶ岳の麓にやってきて狸次郎の屋敷にせました。そのことを聞いた南朝方に心を寄せる富士山ふじさん周辺しゅうへんの人々が、尹良親王のもとに集まってきました。

 狸次郎には、延菊のべぎくといううつくしいむすめがいました。延菊は、尹良親王がおいでになると、おそばにおつかえしました。延菊は尹良親王をおしたいしていましたが、やがて尹良親王は、南朝の勢力せいりょくひろめるために信濃国しなののくに出立しゅったつしていきました。延菊は、ふたたび、この地に尹良親王がもどってこられる日をのぞんでいました。しかし、延菊の下に尹良親王がくなられたという便たよりがとどきました。それからのち、延菊は食事しょくじもとらず部屋へやじこもり、いてばかりいました。

 狸次郎は尹良親王の葬式そうしきをすませると、天子ヶ岳の頂上ちょうじょうほこらてておまつりしました。それからまもないばんのこと、延菊は尹良親王からいただいたかんむりを付けて、屋敷の前の池に入ってんでしまいました。狸次郎は、尹良親王を慕う娘の心をあわれにおもい、天子ヶ岳頂上の、尹良親王の祠のかたわらに延菊をほうむってやりました。

 それから後、いつのころからか天子ヶ岳の頂上には、延菊の冠についていた瓔珞ようらくを思わせるような、美しいツツジの花がくようになりました。人々は、その花をヨウラクツツジといって大事だいじにしてきました。

ヨウラクツツジ

ヨウラクツツジ 挿絵

 天子ヶ岳てんしがたけのぼって、ヨウラクツツジの花が美しいからといってえだを折ったりすると、たちまち空がくもつよ風雨ふううこり、早く山を下りないと遭難そうなんするといわれています。そのことを知らない登山とざんしゃがヨウラクツツジの枝を折ったりすると、たちまち山がれて、ふもとの村々にまで被害ひがいおよんだそうです。

 でも、日照ひでりでこまったときには、村のわかい人が天子ヶ岳に登ってヨウラクツ ツジの枝を折り雨乞あまごいをしたということです。

【引用】富士宮の昔話と伝説より